私はデザインが好きだ。
それは分かった。
見た目が綺麗な物が好きだ。
配色が整っているものを見るのが好きだ。
整えるのが好きだ。
Twitterでクリエイティブを
発信している人を見ると、ざわざわする
「自分にはこんなにできない」
「綺麗なものを見るのは好きだけど、自分には作れないのではないか?」
「馬鹿にされるのではないか?」
馬鹿にされないデザインってなんだ?
私は、有名な人がデザインしたものでも
「なんじゃこれ?」と思うもの、結構ある。
すごい!!って思うことももちろんあるけど
これの何がいいんだ?ということも結構ある。
理論的に素晴らしいのか、
規則性があるのか、
私に知識がないからわからないのか。
ピカソの価値が、絵画の価値が
よくわからないのと一緒か。
この人達みたいに有名になりたい?
名前が売れたい?
もともと地位とか名声には興味がない。
結局、自分の世界に何を入れるか?
何を見ないか?の境界線を
ちゃんと自分で引けることが重要なのか。
過去の経験から、私が心底楽しい!!
情熱を注げた!!ということって、
身近な人たちと何かを作り上げたこと、
それを、自分の目の前で喜んでくれる人がいたこと。
自分のアイデアを思う存分表現できたこと。
それを、否定されなかったこと。
賞をとるのは嬉しいけど、大学時代、
コンペで勝ちたいって思うこともなかった。
提出したこともない。
コンペ文化が
私の学科にはなかったということ、
評価されるのが怖かったということもあるが。
私は地位や名声には興味がない。
なのに、有名な、声の大きい人を見て
ざわざわするのはなんでだ?
私がほしいのは、
私の作ったものや与えられたもので、目の前の人が喜んでくれること。
会社でも、営業さんに褒められた時
すごく嬉しかった。
「わかりやすい!しかもかわいいし!!
これで頑張ってプレゼンしてくるね!!」
と、ちょっと大げさには褒めてくれたけど、
会社の中で自分のものを
肯定されることって無いから
本当に嬉しかった。
次もがんばろうって思えた。
それを見ていた同期に、
「わかりやすく持ち上げられるやん。笑」
と言われた。
いいじゃん、感謝されるって嬉しいよ。
「作って当たり前」の
空気が流れるこの環境で、
肯定的なフィードバックをもらえるって
本当に嬉しいよ。
普段、課長から修正をもらって、
部長から修正をもらって、
やっと営業さんに提出。
そしたら営業さんにも修正をもらって、
お客さんからも修正をもらう。
修正、修正、修正、修正。
過去と比べて何ができるようになったか?
前回よりも良くなっているのか?
何もわからない。わかるのは、
今はだめだということだけ(‘ω’)
常に修正。
「お!いいじゃん!」
この一言がごくまれにもらえただけで、
飛び上がるぐらい嬉しくなる。
一部の営業さんには裏で、
「うちのデザイナーはレベルが低い。
あの提案書見ました~?ひどすぎる」
なんて言われてたりするそう。
じゃあお前が自分で作れよ。
ふざけんな。直接言ってこい。
営業の同期から聞いた話。
「デザインの人には達成予算がつかないから
ひとつひとつの案件に対して情熱がない。」
なんて言われたりもしてるらしい。
これ、けっこう心折れた言葉。
肯定が無い中でも、なんとか!!
喜んでもらえるものを作りたい!!
と踏ん張って頑張ってたけど、
それは伝わらないんだ。
どんなに頑張ってもだめなんだな。
営業とデザインは分かり合えないわ。
それ絶対私に伝えるべきじゃなかったよ。
言ってたとしても、
絶対墓場まで持ってくべき言葉。
言っちゃいけないよそれ。
私たちは、案件が取れても取れなくても
給料なーーんにも変わんないんだよ。
でも、全部頑張ってやってるんだよ。
そんな風に言われたらどうしたらいいの。
私は、自分の作った物で喜んでほしい。
感謝されたい。
役に立てたら嬉しい。
馬鹿にされたくない。
自分の作るものを好きだと
言ってもらえたら嬉しい。
音楽もそうだ。
「上手いね」と言われるのと、
「あなたの演奏が好き」と言われるのは
完全に別物。
私がずっと欲しかったのは、
「あなたの演奏が好き」の言葉。
中高は「上手いね」と言われてきた。
でもそれって、なんだかなあと思ってて
「あなたの演奏が好き!」
と言われてる人が羨ましかった。
コンクールで賞が取れる演奏と、
心に響く演奏は別物だ。
もちろんある程度までは比例する。
ぐちゃぐちゃの演奏では響かない
でも賞は
「減点されないこと」
「揃っていること」
審査されるもの。
(これ私。あああああ楽器触りたいいい)
(コロナで出る予定の演奏会全部なくなった)
大学に入って、コンクールではない
演奏会をたくさん経験して、
「音楽ってこんなに楽しいんだ」
「セオリー通りの技術が無くても、良い演奏があるんだ。」
ということを知った。
それまで私は、「綺麗なフォーム」
「ちゃんとした基礎練習」
「縦がそろうこと」
これを最重要視してきた。
それをすることが、
良い演奏につながると思ってきた。
けど大学に入って
本当に大量の人の演奏を見て、
フォームはめちゃくちゃなのに
めちゃくちゃに良い音出す人がたくさんいた。
すごく綺麗な演奏する人がたくさんいた。
中高で私が積み上げた、
「綺麗なフォーム」「ちゃんとした基礎練習」
はもちろん無駄じゃなかったし、
この時期があったから
今私は表現したいことが
それなりに表現できていると思う。
けどそれだけじゃ響かないんだ。
ということが分かった。
(私のマレットちゃん達)
自分の表現したい音はなんだろう??
この曲のここで、出したい音はなんだろう?
どういうフレーズをつけたら綺麗かな?
指揮者さんの欲しい音はどれだろう?
そういうことを大事にするようになった。
それに応じて、必要な技術を都度練習した。
教えてもらった。
癖もたくさんあったから、直した。
「楽器を鳴らす」ことをめちゃくちゃ練習した。
舞台上でとどまってしまう音と、
客席までちゃんと届く音がある。
楽器を「鳴らさ」ないと、客席には届かない。
それを1年、2年と続けて、
大学3回生になるころあたりから、
「先輩の鍵盤が好きです」
と言ってもらえるようになり始めた!!
初めて言われた時は、
めーーーっちゃくちゃ嬉しかった!!
(鍵盤=マリンバ、グロッケンなど。
iPhoneの着信音のやつ。
木琴、鉄琴と言われてるやつです。)
やっぱり私、「賞」「技術」じゃなくて
「好き」って言われたいな。
「好き」のほうが、「私だから感」ないですか?笑
デザインするにしても、
インテリアコーディネートするにしても、
喜んでもらいたい。
ある程度の技術はもちろん必要やけど、
批評されたいんじゃない。
提案書だと、見た目が綺麗で、
伝えたいことがちゃんと伝わればいいなと思う
インテリアコーディネートだと、
そこで過ごすときに
気分があがってくれたら嬉しいなと思う。
従業員休憩室とかやったりするけど、
どうしたらリフレッシュしてもらえるかな?
と考えてる。でもクライアントさんは
そこの使用者じゃなかったりするから、
それよりも予算が大事だったりする。
まあ仕方ないんだけれども。なんとなく不満足。
そうか、私はそこを使う人を見てたのか。
音楽だと、私の表現したいことが
そのまま伝わればいいなと思う。
聞いてて楽しんでもらえたら嬉しい。
そして聞いて楽しんでもらうには、
奏者側が楽しんでいることが必要不可欠!!
これは絶対!!!
どんなに縦とピッチの揃った演奏も、
「心底楽しそうにしている演奏」には勝てない。
音楽でたとえると
個人的に凄く分かりやすい。笑笑
すっと腑に落ちる。笑笑
これは結局分からなかったな。笑
あ、でも
音楽のプロの人のTwitterみてもざわざわするわ、一緒か。
自分と比べて、だめだ…ってなる。
また責め癖か?笑
好きだな~私も(‘ω’)笑
上手くないと価値が無い
って考えが抜けないのかな~~~
喜んでもらえることがしたいし、
「好き」って言ってもらえる
響くことがしたいけど、
「技術的にも上手くなりたい」
「認めてもらいたい」
という気持ちがあるのだな、たぶん。
それは結局実践していくしかないんだろうーーーなーーーーー(◎_◎;)
早く結果ほしくて焦っちゃうね!!笑
うーんすっきりはしないけど、癖ってわかってるし、
私が欲しいものじゃないってわかってるから
やーめよって繰り返していくしかないか!
しゃーないな!笑
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