自分の意見を抑え込む癖。どうせ言ったって無駄?

 
 

 

 

 

 

 

 

 気づき

 

 

 

 

 

 

昨日書くことで、また新たな自分のパターンに気づいた。

 

そしてさらなる癖。

 

自分の意見を抑え込む癖。

 

 

 

どうしてか?

 

言ってもどうせ変わらない。

 

どうせわかってもらえない。

 

じゃあ言わない方が楽。

 

そう思ってるから、それなら自分の意見にも気づかないほうが楽。という無意識の癖。

 

 

 

はーーーそうなのね。なるほど

 

 

 

それに気づいた?なんとなく考えた?直後にこの記事を読んだ。

 

びっくりした。笑

 

 

 

 

 

皆川さんが書いてくださっているのですが、自分でもそう思っていることに気づいてすらいませんでした。

 

 

 

 

なんでそう思う?と聞かれて初めて、え??なんでやろ??あれっそっかこう思ってたんや。って気づいた。

 

 

 

 

 

気づいたら、この傾向が強くなったきっかけも思いだした。

 

 

 

 

 

高校の時の友達や。

 

 

 

 

 

これは完全に自分が悪かったなと反省してるんやけど、友達の相談をずっと受けてて、友達が悩んでたから自分の思いを伝えていたんやけど、「自分の正しさを押し付けないで。」と言われてしまった。

 

 

 

当時の私はそんなつもり全然なくて、自分なりにその子のためにって考えてたから、ほんとにショックやった。

 

 

 

いやもうこれに関しては自分が悪かった。ほんとに反省してる。

 

 

 

けどその時はショックが激しくて、

 

 

 

「自分の意見を伝えることはだめなんや。私の思いは伝わらないんや。」

 

「私は正しさを押し付けてるだけなんや」

 

「そしてその正しさは、人を傷つける」

 

 

 

そうやって強く刻みこまれたなって思いだしました。そっから、一気に自分の意見を言わないように気をつけるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下リブログ先を一部転載

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そういう人たちは

小さい頃から例外なく

 

「かんがえすぎだよね」とか
「すごいこまかいことにこだわるんだね」とか
「今、それ言う?盛り下がるじゃん」とか

言われたことがあって
自分が何かを感づいても
それを言わずに
「いや、気づいてないふり、気づいていないふり」と

自分の考えや能力に蓋をしてしまっています。

 

または

 

誰かが怒ったり気分を害したりするので

 

「また人の気持ちを踏みにじってしまった」とか

 

「またKYなことやってしまった」と

 

反省して

 

あげく

「自分の言うことなど、わかってくれる人はいない」という結論に至っている人が多いです。

 

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ほえーーーこれすらもHSPあるあるなんだ…なんかもう当てはまりすぎてて怖いぐらいやな…

 

 

 

皆川さんが仰られているように、「かんがえすぎだよね」「すごいこまかいことにこだわるんやね」って昔からずっと言われてきた。

 

 

 

それが少しずつこの「自分の意見を抑え込む」考え方を形成していって、高校の時のこの出来事で完全に自分に刻みこまれた。

 

 

 

そんな気がしました。

 

 

 

序盤で私が書いた、言っても無駄やから、それならそもそも気づかないほうが楽。

 

 

 

わざとちゃうか?ってぐらい皆川さんが書いてくれていることと同じこと思ってて笑う

 

 

 

しかもタイミング!!!

 

 

 

なんか自分の癖に気づくタイミングとこの記事が投稿されるタイミングがタイムリーすぎて、めっちゃびっくりした笑

 

 

 

私はすごく記事が長くなりがちやけど、皆川さんも結構長いから、HSPの特徴かな?笑

なんて自分を励ましてます…笑

 

 

 

一回皆川さんのブログをこぴってきて、何文字なのか調べたりした、笑

大体私と同じくらいか、多いぐらいやった(・o・)!

 

 

 

私は、皆川さんが仰るように、どうせ私の言うことなんてわかってもらえないって思ってるのかな?

 

 

 

そこまで思ってるかどうかはまだあんまりわからんけど、「どうせ言ったって無駄」と思ってることは確か。

 

それはわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、また一部転載させてもらいます。

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わたしたちはこういう常識のメガネもかけてないでしょうか。

 

「人は必ずわかりあえるものだ」
 

または

 

「人はかならず分かり合わなくては」

 

それってとっても情熱的で

一見ヒューマンな感じです!

 

仲間になろうよ!それもとってもいい。

 

 

でもその状態は

 

コインの裏に

 

「同じ世界に生きようよ」という支配があるとも言えるかもしれない。

 

 

「どの世界に生きても自由」というのは

軽やかですね。

 

分かり合えても

分かり合えなくても

自由。

 

好きなあなたと分かり合いたかったけど

違う世界だった、それもいいね、

そういう

 

自分も

相手も

ほんとうの意味で

 

「自由でいる」ということを

受け入れるということが

 

 

HSPが追い求める

多様性なのかもしれません。

 

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「同じ世界に生きようよ」という支配

 

これすごくしっくりきました。

 

多分私はこれをしようとしてしまっていたんだな。

 

で、これができないことが分かってるから、「言ったって無駄」って思ってる。

 

 

 

 

でもそうじゃない。

 

同じ世界に生きなくてもいいから、言っても同じ意見になるかどうかはわからんけど、伝えるってことは別に無駄じゃない。

 

 

 

相手には相手の世界があって、自分には自分の世界があるから、私の意見だって自由であって良いものなんだな。

 

 

 

自分の意見に染めようとしてたから、言っても無駄やと思ってた感じか。

 

そら無理やわな。笑

 

 

 

 

 

でもその必要はない。違う意見もあっていいよね、だから私の意見があってもいい。

 

 

 

「言ってみたけど、違う世界だった。それもいいね。」ってすごい素敵やな。

 

 

 

よし、これを思い出して、またこの思考の癖ちょっとずつ変えていこう✨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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